みをつくし
雨上がりに庭に出たら、水たまりに魚がいた。
どこから来たのかといぶかるが、
とまれ、このままにしておくのも心が痛むと
中禅寺は家に器を探しに戻った。
手近な湯のみを持って、急いで水たまりから魚をすくってやった。

物置にあった金魚鉢を洗って、魚をそこへ移した。
小さな魚である。
中禅寺の人差し指ほどの大きさだった。
色は灰色がかった青紫で、光があたると時折ウロコが明るい緑色に光った。
そうして何より、その魚には、人の顔がついていた。
いわゆる人面魚だ。
若さが陰りはじめたくらいの、猿顔の男の顔がついている。
ご丁寧に無精ひげまで生やしている。
金魚鉢にうつして初めて、
それが人面魚であることに気がついた。
驚いたが、その人面魚はあまりにも小さく、指人形のようで、
またその表情もすこぶる情けなかったので、恐ろしいとは思わなかった。
つい、放っておけずに金魚鉢に移したが、このままこれを飼うのだろうか…
そう中禅寺が思っていると、
「なぁ、君」と声がする。
人面魚がしゃべった。
中禅寺はこれを飼うのもなかなか面白いかもしれない、とふいに思った。 
「僕は腹がすいたよ」
どうやらわがままそうな人面魚だ。

人面魚に米粒をやりながら
(何が食べられるかと聞いたら生意気に米が食べたいと言った)、
色々なことを訪ねた。
どこから来たのか?仲間はいるのか?
大体の質問に、「よくわからない」とへどもど答えた。
ただ、最後に名前を尋ねたら「せきぐちたつみ」とはっきりと言った。
生意気にも名字があるのか、と中禅寺は少し感心した。
せきぐちは明るい場所は苦手だと言い、
中禅寺も友人や妻を驚かせるつもりはなかったので
神社で使うものを仕舞ってある場所でせきぐちを飼った。
そこなら中禅寺以外は訪れない。
せきぐちは中禅寺の変わった話し相手になった。

せきぐちが中禅寺に飼われはじめてから二週間ほどたった。
中禅寺が人魚伝説についてあれこれ話をしていると、せきぐちは糞をした。
そしてこういう。
「僕だってプライベートが欲しい。金魚鉢にトイレを設けてくれよ。外から見えない奴さ。」
人面魚は恥じらうらしい。
せきぐちの訴えももっとものような気がしたので、
陶器を沈めて、外から見えない部分を作ってやった。
2、3日たつと、せきぐちが今度は
「夜明け前になるとここは随分冷えるんだ。僕には服もないし…」と言う。
せきぐちは小さな魚だったし、また人の顔を持っている。
もし死んだら、寝覚めが悪いだろうし、
それに、この二週間ほどで中禅寺はせきぐちに情がわいていた。
もし彼が死んだら、もう二度と彼と話すことは叶わないのだ、と思うと、
胸の奥が重くなるような寂寥感を感じた。
その寂寥感は中禅寺に、せきぐちのためにできることをしなくては、という焦燥感を募らせた。
中禅寺はせきぐちにヒーターを買ってやった。
釣り堀をやっている知り合いに聞いたらすぐ手に入った。
「魚、飼うの?」と聞かれたが、せきぐちのことは誤魔化した。
自分だけの秘密にしたいと、そう思った。
せきぐちの要求は次第に増えた。
「もっと広いところに住めたらいいな」
「たまにはほうれん草が食べたい」
「僕も本がよみたい」
中禅寺は新しく水槽を買い、ほうれん草を湯がいて細かく刻んで与え、
せきぐちが読みたいという本は、何時間でも音読した。

営んでいた古書店にしばしば「骨休め」の札が見られるようになった。
妻に、最近なにかあったんですか、と問われた。
中禅寺はひどくせきぐちへ入れ込んでいる自覚があった。
人差し指ほどの人面魚に振り回されている。
中禅寺は自らに問いかけた。
「最初は小さな金魚鉢で米粒を食べていたじゃないか、
せきぐちにここまでしてやらなくちゃならないのか?」
そう思った瞬間、ひとつの言葉が鮮明に頭に響いた。
「星の王子さま」
ああ、今の自分はまるで、薔薇の世話をする「星の王子さま」だ。
そうしてせきぐちの要求も、きっとあの薔薇のように、中禅寺の興味を引きたいが故なのだ。
せきぐちにできることは、水槽のなかを泳ぎ回り、中禅寺と話をするくらいだ。
そうして中禅寺が訪れないときには、せきぐちは独りきりなのだ。
少しずつ煩わしくなっていたせきぐちの要求が、急にいじらしく感じられるようになった。
中禅寺はふと頬を緩めた。
しかし次の瞬間にはうなだれた。
ある感情が自分から喪われたことを中禅寺は知ったのだ。
「いじらしい」と思った瞬間から、もう二度と、
心からの愛情と心配とを持って本気でせきぐちの願いを叶えることはできないと。
せきぐちを失うことを最も恐れ、
せきぐちに隷属してまでも彼を慈しんだあの感情は、
既に過去のものになってしまったのだ。
胸をしめつけるような寂寥感も、さざ波のような焦燥感も、喪われたのだ。
そうして、その感情は、二度とよみがえりはしないのだ。

中禅寺がせきぐちに会いに行くと、せきぐちは中禅寺を見て、
すこし顔を陰らせ、さみしげにぽつりと言った。
「僕は3つのことを知ったよ。
 僕にはきっと仲間がいないこと。
 僕はどれだけ生きるか知らないこと。
 そして、人の気持ちは変わること。」

今でも中禅寺は、あの感情が喪われたことを悲しみながら、小さな人面魚を飼っている。
小さな人面魚は、二度とわがままを言うことはなかった。

了

はかってはいけないものが、この世にはある。
2008.07.10 「みをつくし」